「何の真似ですか? 芥川先輩」

 木々が揺れる。葉がざわめく。
 静かに、だが急激に刻が動き出す。


3 再度


 近づいてくる日吉は隙だらけだった。だから捕らえたまでだ。
 氷帝学園の敷地は広い。故に自然も多く存在する。つまり慈郎が寝ている場所もそれと同じ数だけある訳で、場所の特定をするには大分時間がかかる。それは長い付き合いのある者でもとても難しい事だった。
 部活中に居なくなった慈郎を探すのは後輩の役割だ。特に日吉が捜しに行く事が多かった。
 今日もいつもと同じように、日吉を捜しにきた。日吉の勘がいいのか、それとも慈郎がワザとそうしているのか定かではないが、他の後輩と比べて日吉は慈郎を見つけるのが早い。
 あの木漏れ日が暖かい場所。
 そこにきっと慈郎は居る。
 案の定、日吉が予想した場所に慈郎は居た。死角になりやすい中庭の隅の整えられた芝生の上で、気持ち良さそうに寝息を立てている。
 そして慈郎は知っていた。日吉が寝ている自分を見つけると、今まで取り巻いていた他人を近づけまいとする空気が、一転にして消え失せてしまう事を。それは、ほんの少しの間だけだとしても慈郎に気を許しているという表れだろう。
 この日、日吉はいつもと違う行動を取った。慈郎の隣りに座り込んだと思うと、その頭を撫でた。柔らかで猫っ毛な髪を梳く。日吉が微笑っているようにも思えた。この時点で、慈郎は狸寝入りをしていた事は、日吉が知る由もない。
 今日は日吉が来るかもしれない。そう思ったら、寝ていられなかった。
 …ただ何となく。確信があった訳ではない。あくまで何となく、そう慈郎は思ったのだ。
 本当はこのままでも良かった。だが慈郎は自分の髪に触れていた日吉の手を掴むと、身体を引き寄せ、更に反転させて、慈郎が日吉の上に覆い被さる形になった。

「何の真似ですか? 芥川先輩」

 意外と冷静な物云いに、起きていた事がバレていたのか、と慈郎は思った。
 しかし実のところ、いつもの眠気眼と違う、何やら真剣な顔つきに日吉は内心ドキドキしていたのだが、変わらない口調で云った事に正直本人も驚いていた。
 そして次いで出てきた慈郎の言葉にも。

「ひよしが欲しい」

 何を云っているのだろう。自分でもどうしてそんな事を云っているのか判らない。
 ただ掴まえたいと思っただけなのに。
 驚かせて、ビックリした?、などと云って直ぐに放して、日吉がどんな顔をするか見たかっただけ。
 何故だろう。止まらないでいる。

「ひよしが、欲しいよ」

「好きなの」

「大好きなの」

「放したくない」

「ひよしが好「…もう、判りましたから」

 充分、と云って日吉は慈郎の口に指を当てて、言葉を遮った。
 日吉の瞳には今にも泣きそうな慈郎が映り、慈郎の瞳には困ったような、呆れたような日吉が映っていた。
 指を外して日吉は云う。

「でも、済みません。 俺を、俺自身を先輩にあげる事は、出来ません…」

 己は己のモノだから。
 そんなものは言い訳に過ぎない。本当は怖いだけ。すべてを他人に委ねてしまう事がどれだけ危険な事か。判っていながら、それでものめり込んでいく。だからこその恐怖。
 慈郎は笑った。手に入らないと知り、それでも日吉を困らせないように笑う。だが同時にそれは泣いているようにも見えて、痛々しく日吉には思えた。

「…うん、やっぱ、そうだよね。 ごめんね、ビックリしたでしょ」

 そう云って、慈郎は日吉の上から退いた。日吉に背を向けて、そのまま芝生へ横に倒れる。
 日吉も起き上がり、立ち上がってユニフォームに付いた芝生を払い落とすと、慈郎に背を向ける。

「だけど、」

 日吉は呟く。まるで独り言のように、慈郎にしか聴こえないような小さな声で。

「俺も、好きですよ。 …ジロー先輩の事」

 唐突に告げられ、一瞬何を云われているのか理解できなかったが、判ると慈郎は飛び起きた。
 だが間近に居ると思っていた日吉は既に数歩先まで距離を取っていた。

「ひよし!」

 もし日吉が慈郎に対して気を張らない理由が、慈郎が日吉に告げた想いと同じだとしたら、どうだろう。その答えは至極簡単だ。
 日吉は慈郎を見つけた時のように、穏やかな笑みを湛えていた。

「ねぇ!今のホントなの? もう1回云ってよ、ひよし!」

 静かに日吉は首を横に振る。代わりに告げたのは、

「追い駆けて来て下さい。 そうしたら、何回でも云ってあげますよ」

 部活動中のコートへ連れて行く口実。云うや否や、日吉は走り出す。
 当惑しながらも、慌ててそれを追い駆ける慈郎。芝生も払わぬまま。

 緩やかな刻は終わった。
 これからは君と、永遠になり得ない“今”を急速に駆け抜ける。









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