すべては君の“音”を聴く為に。


4 拍手


 彼は良い音色をしていると思った。
 声。口調。視線。仕草。表情。行動。肌の色や瞳の色、果ては髪の輝きに至ってまで。彼は完璧なまでに短調でテヌート。
 その奥に潜む激情。欲望。寂莫。変調して解き放ってみたい。
 僕だけが君の捌け口になってあげる。

「ねぇ、日吉君…もっと奏でてよ…」
「何云って…。 …っ!?」

 偶然だった。廊下を歩く君が僕の目の前を通った。それだけがアクセントされて、視界に際立つ。
 聴きたい。君の“音”が。
 いても立っても居られず、彼に声をかけるとアテンポのような返事も待たずに近くの資料室に連れ込んだ。あまり人が出入りしない所為か窓を開けた形跡もなく、空気は埃っぽかった。
 フォルティッシモに驚く君を壁に押し付けて、唇を塞いだ。彼の方が僕より背が高い為、少しばかり背伸びをする。
 遠くで聞こえる。笑い声。廊下を走る足音。ざわめき。そしてチャイム。
 激しい抵抗もなく、驚いた拍子に僕の肩に手を置いた位。僕は君を見ていたいから目を開けたままだった。彼はただ単に慣れていないのだろう、目を閉じるタイミングを失って僕を見つめる。
 メゾピアノな輝きを放つ瞳がとても美しい。
 少し唇を放す。君が何か発しようとしたけど、また塞いだ。今度は深く繋がる。
 ぎゅっと彼は目を瞑る。手に力が入り、肩に食い込む。彼のリズムを崩せて、思わず微笑った。
 角度を変えて。緩急をつけて。たっぷりと翻弄する。チュッ、とワザと音を立てて放せば君は顔を真っ赤にして荒く呼吸を繰り返した。

「な、何なんですか滝先輩…っ!」

 濡れた唇で君は云う。
 精一杯睨んでいるのだろうが、涙をうっすら溜めた瞳では効果はない。それに僕の笑みが映った。

「…“音”」
「はぁ…?」

 溜め息のように放って、表情を険しくさせる。
 僕は君に身体を寄せた。

「日吉君の“音”が聴きたかった」

 彼の胸に手を当てる。心臓は盛んにアレグロな心拍数を刻んでいた。
 君という“曲”はとても不思議な旋律で僕を魅了する。クレシェンドかと思うと、デクレシェンドな表情を見せるように。

「それだけだよ」
「『それだけ』って…」

 ほら、今だって、混乱しているのに抱き締めてくれる。やはり君は不思議な“曲”だ。
 君の“音”には全く飽きが来ない。聴いていると安らぎさえ与えてくれそうで。
 そんな君の“曲”に僕はいつまでも拍手を送ろう。







テヌート … その音の長さを十分に保って
アクセント … 目立たせて、強調して
アテンポ … もとの速さで
フォルティッシモ … とても強く
メゾピアノ … 少し弱く
アレグロ … 速く
クレシェンド(デクレシェンド) … だんだん強く(弱く)






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イルマット

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