「…大丈夫か?」 平常心を装っていても。 内心かなり心臓がバクバクいっていた。 そりゃあもう。 亮也に聴こえてしまうか心配する位。 だって。 こんなに密着してるし。 きっと伝わっているのだろうな…。 …恥ずかしい…。 ――“恋する乙女”じゃあるまいしっ!! …なんて悶えている場合じゃなかった。 不意に。 亮也と目が合った。 なんだ。 その目は。 まるで発情しているみたいだ。 服は大分水を含んで素肌に張りつく。 少し長めの髪が量を減らし雫を滴らせた。 体のラインがはっきりした所為か。 亮也が艶やかになった。 薄く開いた唇の吐息でさえ。 艶美なもので。 Tシャツを握っていた手の力が緩んだ。 チャポン…、と片手は水に浸かって。 目を逸らさず。 その片手で俺の唇を撫でた。 ヒヤリとした冷たい指先が心地良い。 俺の首に腕を回したと思ったら。 口吻け。 そして後にこう問うた。 「拓海、 『悪魔』って 信じる…?」 それは。 あの事故の直前。 亮也が問いかけたものだった。 『――1つ、聞いていいか…?』 『…なに』 『君は、その…。《悪魔》を…信じる?』 そう云って立ち止まった夕暮れの舗道。 つられて俺も立ち止まる。 『――懐かしい質問だな』 『…憶えていたの…っ?』 『当たり前だ。嫌と云う程聞かれたからな』 『…そう』 暫らく沈黙。 再び亮也の口が開く。 『――…僕は、居ると思う』 『…それで?答えは見つかったのか?』 『それは…―』 『あぶないっ!!!!』 『っ!!?』 会話は此処で終わっている。 俺は意識不明。 亮也に至っては1時期昏睡状態に陥った。 大した怪我をしなかったのは車体が俺の背中を掠っただけだったから。 つまり頭を地面にぶつけた訳だ。 …掠ったとはいえしっかり当てられてはいる。 もっと対処が良ければ巻き込まれずに済んだ。 亮也だって、“戻ら”なかった。 「ボクはね、居ると思うよ」 服を乾かしがてら、近くの公園でブランコに乗った。 俺は立ち乗りで、亮也はしゃがんだ姿勢。 「だって『悪魔』はね、」 “ココ”、と亮也が指で差したのは。 自分自身だった。 「“人間の中”に、居るんだもん。 モチロン、拓海の中にも」 そう云って亮也は微笑った。 「――小6ん時に、お父さんが変わったんだ。 離婚して、再婚したの。 その新しいお父さんね、子供が嫌いだった。 だから、なにかと目障りだとボクを怒った。 そりゃもう怖くてね。 逃げたい、って、ずっと思ってた。 でもね。 少しでも褒められるように、勉強を頑張った。 そうしたら意外と成績伸びちゃって。 お母さんは喜んだけど。 お義父さんは厳しくなってますますボクを叱った。 成績が落ちてくると怒って暴力を振るうようになったから、ボクはいつも必死だった。 生きるのに、必死だった…。 でもお義父さん、結構小心者だから、見える所に傷は残さなかった。 そこだけは笑っちゃうよ。 お義父さんはいつしか、ボクの交友関係にまで口出ししてきた。 “あんな奴とつき合うな”って平気で云った。 口ごたえも出来ないから、なに云われるかも判んないし。 だからボクは他人と話さなくなった。 …拓海を悪く云われたくなかったし。 この時思った。 『悪魔』って本当に居るんだな、って。 お義父さん自体、そう見えたけど。 1番の『悪魔』は、 ボクの中の憎悪とか 汚いココロとか 弱い部分なんだ。 だから人間は 『悪魔』を恐れたんだね…――」 俺はただ聴いているだけだった。 別に聴き流していた訳ではない。 ただ聴いていただけ。 この数年。 亮也がどんな環境に居たか、どんな思いをしていたか。 俺には理解できないけれど。 そんな話を。 何処か愛おしそうに聴かせる亮也は。 とても綺麗なものだった。 「ねぇ、拓海は信じるの?」 そのなにかふっきれた瞳に射られ。 暫しの思考停止。 「やっぱり…信じない?」 悲しそうに俯いて。 次に愉しそうに微笑っていた。 「ボクが…『悪魔』そのものだ、と云っても…?」 「――なんだと?」 「やっと声聴けた」 今度は嬉しそうに微笑った。 しかし今はそんな事には構っていられない。 「お前が、『悪魔』…?」 オウム返しなのは判っていた。 でも聞かずにはいられない。 「どういう事だ」 「…言い方が悪かったかな。 “ボク”は“亮也”が創り出したもう1つの“存在” …そう云いたかったんだ」 「“亮也”じゃない…?」 「そうじゃない。 “ボク”は確かに“亮也”だけど “僕”ではない。 “亮也”の1部に過ぎなかっただけ」 「…判らないよ」 クスクスと亮也は微笑った。 満足そうに。 「判らなくてとーぜん。 “僕”自身が1番判ってないんだから」 「“亮也”はね…――」 そしてまるで他人事のように。 遠く懐かしい思い出のように。 亮也は話し出す。 「なにも出来ない自分が嫌だった。 なにも云えない自分が嫌だった。 幼少の頃に“戻り”たいと思っていた。 あの時は純粋な言葉だけを並べていたから、素直だったから。 ――拓海の側に居たかったから。 酷く臆病で、酷く内気な今を変えたかった。 変えようとしたんだ…。 だけど1度立ち上げてしまったイメージを壊す事が出来なかった。 怖かったんだよ、人間が。 それならいっそ、貫き通した方が早い。 そう判断した。 悪循環だよね…。 本当の自分を抑えた所で、なにも得をしないと判っていたのに。 そうした『あがき』の中で “ボク”は居た。 “ボク”は“亮也”の願いだったんだよ。 “ボク”は“亮也”のなりたい自分だったから。 それが“僕”の弱い部分」 |
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