「ねぇ、拓海。 『悪魔』って――
信じる?」
太虚ニ拡ム荊棘
浮遊する。 空間の中。 なにもない。 なにも。 真っ白な空間。 壁もなく。 浮遊する。 ただ彷徨う。 漂って。 夢心地。 あ。 そっか。 此処は――夢の中だ。 息を思い切り吸ってみたら。 甘い匂いがした。 なんの、だかは判らないけれど。 『拓海…――』 なにかの音。 否。 誰かの声だ。 上手く音を拾えない。 頭が…ぼぅっとして。 『ねぇ…拓海』 聴いた事のある声。 だが特定はできない。 普段聴き慣れない。 笑みを含んだような。 俺の知らない声。 目を開くと。 すごく懐かしい感じがした。 『拓海!』 嬉しそうに微笑う。 その顔に。 覚えが、あった。 『なんだよ、亮』 驚いた。 自分の声が幼い。 でも。 夢の中の俺は。 平然と会話する。 『拓海っ、遊ぼ』 『いいぜ。なにする?』 アングルが変わる。 2人の少年が俺の眼に映る。 否、映像として流れてきた。 親しそうに走り去っていって。 プツンと、暗闇が降りてきた。 薬品の匂い。 理科室とは少し違う。 水音。 均一に奏でる。 呼吸がやけに耳につく。 心なしか体が重い。 というか、怠い。 手は――動く。 微弱ながらも痛みが伴うが。 足も同じく。 瞼を開く。 やけに白い天井。 俺の部屋じゃない事は確かだった。 頭に違和感。 動きの鈍い腕を持ち上げて。 触れた。 包帯のようだ。 ふと見ると。 その腕にも治療の跡。 なにが遭ったんだっけ? 記憶にモザイク。 思い出せない。 『…拓海』 覚醒。 思い出した。 (亮也…!) いてもたっても居られなくて。 勢いで起き上がった。 全身の痛みと。 左腕の点滴に驚いていると。 仕切りとなっていたカーテンが開いた。 そうだ。 思い出したんだ。 俺は幼馴染みの亮也と一緒に帰っていたんだ。 あの日の、あの放課後は。 やけに夕焼けが綺麗だった。 普段亮也と逢う事は少ない筈なのに。 その日は偶然逢って成り行きで一緒に歩いた。 話す事など、なにもなくて。 ただ沈黙。 正直、辛かった。 俺は遠くを見つめ。 車が向かってくるのを眺めていた。 何台も。 何台も…。 気まずい雰囲気の俺たちを通り越してゆく。 その度に風が吹いた。 何台目だっただろうか。 大型トラックが見えた時。 亮也が話しかけてきた。 内容は…何故だろう。 憶えていない。 きっと重要な事だったろうに。 そして。 そのトラックは。 俺たちの横を通り越して行かず。 ガードレールを突き破って。 俺たちに向かってきたんだ。 その時。 俺は亮也を庇った気がする。 事故からはまだ1日しか経っていないらしい。 さっき花の水を替えに行って帰ってきた母さんに聞いた。 奇跡的にも全身打撲と軽い脳振盪だけで済んだみたいだ。 亮也はと云うと。 まだ、意識が戻らずじまいなんだとか。 今すぐにでも。 亮也に会いたかった。 しかし。 母さんに止められてそれは出来なかった。 すぐに退院はできると医師は云った。 亮也の意識が戻らないうちに。 自分だけ病院を出るのは気が引けたが。 俺が退院して2日後の事だった。 亮也の意識が戻った。 俺は授業そっちのけで病院に駆けつけた。 「亮也…っ!!」 まるで殴り込むように入っていった部屋に。 亮也は居た。 居たのだが―― 「あ、拓海ぃ」 俺は絶句した。 何故って。 いつもの亮也ではなかったからだ。 亮也は容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能と3拍子揃った正に天才だった。 しかし性格に難あり。 愛想の欠片もなく常に冷徹で冷静。 他人に興味なぞ持つ暇があればスベテ勉強に費やす。 いわゆる勉強人間。 何故他人を遠ざけるのかは知らない。 だが話しかけようものなら絶対無視。 まるで機械的な人。 生きている感じを受けないと云うのだろうか。 それ故亮也は敬遠されている。 それが。 そんな奴が。 笑って俺の名を呼ぶなんて。 「りょ、亮也…?」 「どうかしたのぉ?」 なんだこの雰囲気は。 柔らかい。 あの冷たい空気ではなくなっているじゃないか。 …つーか口調も変わっているし。 「お前…本当に“亮也”か?」 「なに云ってんの、拓海。 ボクは“亮也”だよ? それ以外の何者でもないでしょ?」 そう屈託なく微笑う亮也は。 あの幼き日の“亮也”だった。 そうか。 亮也は“変わった”んじゃない。 “戻った”んだ。 |
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