【Moonlight Waltz】



「…まったく、情けないなぁ」

 普段関わる機会のない女の子、しかも優美なドレス姿にいたく興奮したのか、卒倒したルームメイトを萱島は手で扇いだ。
 校医はまだ来ていない。椅子に座り、どう暇を潰そうかと考える。

「ちゃうんやて、萱島〜」

 鼻にティッシュを詰めて、医務室のベッドに寝かされた中津は鼻声で反論する。
 ――おおよそ気のあるクラスメイトの色香に中てられたのだろう。

「芦屋の胸が気になるかい」
「他人の心を読むなっちゅーねん!」

 反応が面白くてつい萱島は笑った。中津は居心地悪そうに赤い顔を更に赤くさせた。

「…もうええから、早よ戻れ」
「いいよ、付いてる」
「だーめーや」
「何で?」

 突然真面目な視線を受けて、萱島は扇いでいた手を止めた。思わず胸が高鳴る。
 …鼻にティッシュを詰めたままなのだが。

「お前そんなんやし、女友達なんておらへんやろ? せやから、その…」
「…ありがとう、中津。でも、」
「だぁーっ!! 四の五の言うなや!」
「…分かったよ。行けばいいんでしょ」
「おう。俺の分まで楽しんできぃや」

 萱島は困ったように微笑って、椅子から立ち上がった。女の子云々は兎も角、楽しんでほしいのは本心なのだろう。
 ――如何にもお祭り好きな中津らしい。

「…じゃあね」
「ん」

 入り口で一度振り返り、萱島は医務室を出て行く。
 中津はその後ろ姿を見送って、深い溜め息を吐いた。喉を伝う感覚が気持ち悪くて体を横にする。血の味がした。
 色欲に負けた自分が恥ずかしくて、惨めだ。
 それを萱島は分かっているクセに――分かっているからこそ、何も云わず側に居てくれる。下手な慰めなんかしてくれない。ただいつも通りにしているだけだ。
 そんな萱島の優しさに甘えていた。だが、それではいけないのだと思っていた。
 ――こんな風に考えている事さえ、アイツはお見通しだろうけど。
 中津は小さく苦笑して、校医を待った。




 ホールに戻ると、何人かのクラスメイトに中津の容態を訊かれる。…とは云っても、殆んど心配はされていないようだ。
 流れていた曲が変わった。クラスメイトたちが各々離れていく。壁に寄ってフロアを見つめた。
 何組もの男女が目の前を踊りながら過ぎていく。ぼんやりと、そういえばモーニングが血で汚れなくて良かったな、などと考える。誰かのドレスの裾が翻った。
 クラスメイトの一人が違う女の子と組んでいた。今はフリーの時間らしい。
 ――オレには関係ない話だけど。

「萱島!」

 突然呼ばれて肩を震わせる。声がした方を向いた。
 上部だけを纏めた青みがかった長い巻き髪、透き通った白い肌、上を向いた睫毛と大きな瞳、薄い唇に紅が差した、鋭角な輪郭。線の細い体を白いドレスで包んでいる。
 薄化粧をした少女がそこに居た。
 細い腕を胸の下で組み、威圧するように仁王立ちしている。その瞳には怒りすら滲んでいた。

「え、何、中央」
「『何』じゃないでしょ。なんで踊らないのさ」

 見惚れる間もなく中央は歩み寄って、上目遣いに睨みつけられる。
 その迫力に気圧されそうになるが耐えた。

「相手がいないから、としか言えないんだけど」
「そんなの、テキトーにヒマそうなの引っかけりゃいいじゃん」
「いいよ、別に。踊りたくないし」
「よくないから言ってんの!」

 中央が怒る理由が解らなかった。
 いくら他人より雰囲気が読み取れるからと云っても、人の心の中まではさすがに読み取れはしない。まるで読心術のように見えるのは、ただ状況を把握した上での推測が当たってしまうから。
 そう思うと、周りは解りやすい人たちばかりなんだと気づく。

「…どうして?」

 純粋に疑問を口にした。
 中央の雰囲気から怒りが薄れていく。

「それは、えっと…」

 歯切れ悪く俯かれた。ますます解らない。
 少しの間黙り込んだ。フロアに響く静かなオーケストラの演奏。僅かに賑わう喧騒。笑い声と話し声と靴音。忙しない空気の動き。
 中央は顔を上げ、真っ直ぐ見つめてくる。潤んだ瞳が煌々と輝き、視線が胸を突き刺すようだった。

「か、萱島の、」

 白い肌がほんのり紅潮した気がした。何故かドキドキする。全身が微熱に浮かされているようで。

「踊っている姿が…その、キレイだな、って思って…。
 見たかったんだよ! 遠くから、踊ってるの…」

 目が泳いで、段々視線を外される。声に張りが無くなり、腕組みが自分の体を抱き締めているように見えた。
 だがそれを気に留められる程の余裕はない。

「な、なに赤くなってんのさ」
「…そんな風に言われて、動じないなんて出来る?」
「僕は…ほら、言われ慣れてるし」

 何故か中央はいつもの調子に戻っていた。
 何故かそれが眩しく思えた。
 頭に血液が集まってきているようで、クラクラする。片手で額を押さえた。どう顔向けすればいいのだろう。
 一つの余韻を残して、曲が終わる。ちらほらと、何処からか拍手が鳴り響いた。喧騒が大きくなる。

「………ねぇ中央」

 こんな気持ちでいる自分が不思議でならなかった。
 手を外す。中央を見た。

「踊ろうか?」

 目をぱちくりとさせ、固まったように中央は見つめてくる。
 ――何か変だっただろうか?

「…なーんか味気なーい。もっとちゃんと誘ってよ」
「えー…?」
「だってそうでしょ」
「仕方ないなぁ」

 言葉とは裏腹にその表情は柔らかく、口許に笑みさえ零れる。そんなだから思わず此方も緩む。
 咳払いをして、向き直った。

「オレと踊ってくれませんか、お姫さま?」

 掌を差し出す。芝居がかった物言いに、中央は小さく吹き出した。
 普段とは違う照明と熱気と服装。非現実的に思われる催しに、新たな自分を垣間見る。…だが嫌いではなかった。

「喜んで!」

 今まで見た事のない程のとびきりの笑顔で、中央は手を重ねる。伝わる心地良い体温。
 その手を軽く握り、フロアに進み出た。静かな出だしで曲が始まる。喧騒が大人しくなった。
 自然と形に入る。片方は背中に触れ、片方は横に広げて手を握る。体を密着させた。
 相変わらずの不慣れな感触を気にしないようにして、足を床に滑らせる。
 音楽に乗せてワルツが咲き乱れたフロア。ゆったりと景色が回っていく。
 自分の姿はどうだか知らないが、目の前の少女にしか見えない少年が一番綺麗で輝いていた。
 他の組とぶつかってしまい、中央の動きが止まる。連れて急停止した。
 顔色が悪い。雰囲気から察するに、恐らく今の衝撃で混乱しているのだろう。

「中央、落ち着いて」

 そして刻み出す三拍子。

「いち、に、さん…、いち、に、さん…」

 唄うように。
 フロアの音楽を捉えて。

 中央の口許がゆっくりと笑みを湛える。再び滑り出すワルツ。
 あの時と同じ、優しく暖かな雰囲気。――ふわふわと安らぐようで、とても好きだ。
 この短い時間が掛け替えなく幸せだった。

 手を取りなさって、お嬢さん。
 さぁ、月の下でワルツを。






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