手を取りなさって、お嬢さん。
 さぁ、月の下でワルツを。


【Moonlight Waltz】


 ルームメイトの鼾が聞こえてきて、ベッドから静かに抜け出る。…多少の物音で起きてくる程、繊細だとは思えないが。
 寝間着の上に薄手のジャンパーを着て、靴を履き部屋を出た。ゆっくりと扉を閉める。
 消灯時間はとっくに過ぎているが、僅かに温かみが残る廊下。息が白くはならないが、突き刺すような冷たい空気が顔や手に触れる。
 いつもは寮生で賑わうロビーだが、今は明かりが一つ点いているだけで何とも寂しく感じさせた。
 近づいてみると、人の気配がした。思わず歩を躊躇い、様子を窺い見る。自動販売機の動作音が低く呻った。
 青みがかった襟足の長い髪、透き通った白い肌、上を向いた睫毛と大きな瞳、薄い唇に紅が差した、鋭角な輪郭。線の細い体を体操服で包み、ブルマに付いている短いスカートを翻す。腕は一定の形にし、脚はステップを踏む。動く度にさらさらと髪が艶めいた。
 独りでワルツを踊る少女がそこに居た。
 少女がふらつきながら動きを止める。激しく呼吸を繰り返し、髪を掻き上げ――。

「…うわっ!?」

 驚きを通り越して引いたような顔で、少女は此方に気づいた。一気に青ざめている。
 突然の大声に心臓が跳ね上がった。

「ちょ…萱島!? ビックリさせないでよ!」
「ごめん」
「ただでさえ暗いんだから、そんな物陰にいないでよ。ユーレイかと思ったじゃん!」

 ちなみにこの寮に女子は存在しない。学校全体でもまた然り。

「…練習熱心だね、中央」

 まだ文句を云い足りなさそうにしている少女――に見える少年に、萱島は歩み寄った。
 低い位置にある可愛らしい顔に見上げられる。

「そりゃあね。先輩に恥はかかせられないし」

 ――あの人と踊れる気でいるのか。
 本気は出さず、曖昧な返事で濁した。

「そーゆー君だって、練習しに来たんじゃないの」
「…まぁ、一応」
「へぇ、萱島もオトコだったんだね〜」

 意地が悪そうな笑みで、中央は覗き込んでくる。変に弁明しても面倒そうだと思って、取り敢えず否定はしなかった。

「丁度いいや。練習、付き合ってあげるよ」
「そう、ありがとう」
「この僕と踊れるんだからね、感謝してよ?」
「ハイハイ」

 自然と形に入る。片方は背中に触れ、片方は横に広げて手を握る。体を密着させた。
 不慣れな感触に違和感を覚える。

「…何で付けてるの」
「慣れる為じゃん、当たり前でしょ」

 そうは云われても、やはり気になってしまう胸元。そうなると、露になっている腕や脚が艶めかしく思えたり、やたらと細い体がか弱く見えたりしてくるものだ。
 ――成る程、取り巻きが増えるのも分かる気がする。
 思わず萱島は納得してしまった。

「ほら、さっさと動くよ。えーと…」

 中央から感じ取れる雰囲気が変わったと気づく。情熱的で燃えるようなものだったのが、少し張り詰めて冷気と同化する。
 僅かな緊張と照れ。友人同士とは云え、こんなにも近づく事はそうそう無い。感化されて、鼓動が速まる。

「引く?出す?」
「じゃあ、こっちに向かって」
「ん、分かった」

 そして刻み出す三拍子。

「いち、に、さん…、いち、に、さん…」

 唄うように。
 聴こえる筈のない音楽を捉えて。

 段々と状況に慣れてくる。動きもぎこちなさが取れて、大きく滑らかになっていく。
 真剣な顔をした中央からあの雰囲気を感じ取った。緊張や照れなど微塵もない、堂々とした撓やかさ。
 自分には珍しく汗ばんで、ただ踊る事に没頭していた。
 もう何度も踏んだステップ。

「…わっ!」
「っ!」

 均衡を崩した体が圧しかかってきた。咄嗟に倒れないよう足に力を入れる。
 結果的に、抱き合う形になった。

「…平気かい?」

 また雰囲気が変わった中央が顔を上げる。
 目の前の吸い込まれそうな瞳に見つめられ、体温が上がった。

「ご、ごめん、コケちゃって」
「いいって」

 苦笑いされて一息吐く。
 優しく暖かな雰囲気。
 喩えるなら、小春日和の朝のよう。まだ寒々しい空気に柔らかな陽射しが入り込むような。

「もう寝よっかな、時間も遅いし」

 腕の中をするりと抜けて、何事もなかったかのように振る舞う。ジリ、と何かが燻ぶった。
 ―― 一瞬でも、きつく抱き締めたいと思うなんて。…我ながら、馬鹿だ。

「夜更かしは肌に悪いじゃなかった?」
「気合いで何とかするよ。今更だし」

 いつものような会話。何ら変わらない談笑。平常心の自分に安堵する。

「おやすみ、中央」
「ん、また明日ね」

 駆け足で自室に戻っていく。その後ろ姿は、やはりボーイッシュな少女に見えた。
 中央が扉を開けて振り返る。手を振ってきて、戸惑いつつも振り返した。暗がりに吸い込まれていき、扉が閉まる。
 手を下ろし、溜め息を吐く。残り香のような体温と感触。

(飢えてるのかな…)

 これが“男の性”というものだろうか。――考えてみても分からないのが目に見えている。
 本番までまだ半日以上あるのだ。もう寝てしまった方が良いだろう。






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