あの日あの時あの場所で。 あんな事にならなければ、 今の貴方を信じられたであろうに。 【Border Line / the first half】
風がそよいだ。 ふと、手が止まった。 机上の書類が躍る。 賑やかな声が、耳に届いてくる。 この城には、随分と人々が集まっているようだ。 多くはハイランドから逃げてきた流民や兵士、旧都市同盟の者だろう。そして、彼が集めた『仲間』。 あの時、何故彼を疑ったのだろう。彼がそんな事する筈がないと、判っていたのに。 今では冷静さを欠いてしまった自分が恥ずかしい。だからこうして、彼の力になりたいと思って、この城に来た。 彼を疑ったお詫びとして。何より、彼にあの方の面影を見たから。 彼なら、きっと―― ガチャッ、バタンッ 唐突に思考が断絶される。ノックも無しで部屋に入って来たのは青いバンダナに青いマントの青年・フリックだった。 思わず椅子から立ち上がってしまった。 「な…っ!?」 なんだ、貴様は!? 俺が云うより先に、フリックは自分の口許に人差し指を当てた。次の瞬間、またしてもノック無しで勢い良くドアが開かれる。 「とうとう追いついたわよ!!フリックさん!!!! …って、アレ?ジェスさん??」 どうやらフリックはニナから逃げているみたいだ。内開きのドアの影にフッリクが隠れているのだが、ニナは気づいていない。 フリックに目を遣ると、『追い出してくれ』と静かに訴えている。 小さく溜め息を吐いて、「アレ?確かに此処に入ってくのを見たのに」などと考え込んでいるニナに近づいた。 「フリックは来ていない。さぁ帰った帰った」 「え?でも…」 バタンッ 戸惑うニナを強引に押し出して、一応鍵をかけた。 それが災いを引き起こす事を知らず。 「ありがとう、ジェス。助かったよ…」 「今度は別の人に匿ってもら…!!?」 目を、見張るしかなかった。 ふわりと包み込まれる温もり。唇を塞がれる感触。入り込んでくる湿り気。 『貴方…ホントにヤラシイ躰してますねぇ』 『ゃっ、やめろ…っ、痛…っ!』 『ほらほら、我慢しないで下さいよ』 『…っっっ!!』 過る、あの日の午後の記憶。屈辱的な行為。 全てが、汚らわしい…!! 「ッ…!!」 俺はフリックを突き飛ばした。 全てが嫌だった。まだ残る口吻けの感触、腕の体温、微かな匂いでさえ。 手の甲で唇を拭う。涙が溢れそうになるのを堪えた。敵に弱みを見せる訳にはいかない。 …『敵』? そうだ、今の私にとって、目の前のこのオトコは、『敵』。 『敵』からは、逃げなければ。 ドアを開けた。…つもりだった。 開かないドアに、一瞬頭の中が真っ白になってしまった。先程取った無意識の行動が、結果己を苦しめる事となった。 鍵がかかっている事に気づいたのは少し経ってから。 その時初めて、自分の身体が震えている事を知った。 手が、上手く動かせなくて、鍵を外せない。 ふと、後ろから影が降ってきた。 俺の顔の両脇に両手をついて、その圧迫感がまた、更に嫌な気分にさせる。 「ジェス」 ざわりと身体が波打つ。 甦る。消せない。消えてくれない。消えてほしい。 色褪せず鮮明な傷。忌まわしい。壊れていく。 嫌だ。 「ぃ、やだ…」 「…ジェス?」 「やめ、ろっ…、さわる、な…っ!」 まるで昨日の事のように。思い出されるあの日の出来事。 薄汚い手で撫で回された皮膚がぞわぞわと疼く。 息が出来ない。苦しい。身体が熱い。寒い。くらくらする。 目の前が霞んで、歪んで。 身体が、少し軽くなった気がした。 「ジェス!!!!」 呼ぶな。…呼ばないでくれ。 あいつが。欲情を映した瞳であいつが呼ぶんだ。 俺の名を。笑みさえも含んだ声で。 『何故だ…っ、何故、こんな事をする…っ!?』 『一度、貴方の素肌に触れてみたかったんですよ。きっと、シルクのように、滑らかなんだろう…ってね』 『何を…っ、悪い冗談はよせっ…!』 『冗談なんかじゃありませんよぉ。私はいつだって本気です…』 『…!? んん…っ』 『…っ、貴方はとてもプライドの高いお人だ。だから助けを呼びたくても呼べない』 『っ…!』 『「オトコに襲われた」なんて…貴方ぁ、恥ずかしくて死んじゃいますものねぇ』 『き、さま…っ!!』 『助け、呼ぶんですか?私にも、考えがありますよ? ――「貴方に誘われた」、そう云えば良いんです』 『なっ!!』 『幸い、貴方の容姿はそこらの役人より綺麗ですし。この拘束も…「貴方に云われてやっただけ」、そう云えば大抵の者は信じます』 『嘘、だ…』 『嘘かどうか、試してみます?』 『………っ』 『危機を逃れる代わりに、ジェスという人間はそういう趣味の持ち主なんだと、世間に曝されますよ? 勿論、“副市長”という地位も脅かされかねない』 『っ、卑怯者…っ!!』 『なんと云われようとも結構です』 『これも1つの私の“愛の形”ですから』 「…気がつかれましたか?」 「………?」 何処だっけ? 城内なのは確かなのだけど。 声がした方を向くと、見知っているこの城の医師が居た。という事は、此処は医務室か。 運んだのは… 恐らくフリックだろう。 弱みを、見せてしまったな。 シーツを固く握った。 「…ホウアン殿」 「心因性のもの、でしょうね」 「………」 何も云えず黙った俺に「まだ安静にしていて下さいね」、と微笑み彼は背を向けた。穏やかで、差し障りのない声。 「…有難うございます」 優しい。促されるまま目を瞑る。 ふと思い出す笑顔。 …ダレノ? 俺はまた、睡魔が誘う方へと墜ちていった。 |
→後編 →『Border Line』top Please don't upload my fanworks to other websites, copy and reproduce from them, publish them in fanzines without permission. |