a still small voice


「どこ行くんだ」

 玄関に座り込み、ブーツを履く背中が微かに揺れた。
 掠れを含んだ声が静寂に沈む。焦点の合わない目を細めた。横着しないで、眼鏡をかけてくれば良かったな。

「なんだ、起ッきてたのか」

 履き終えて一瞥し、ブーツを脚に馴染ませるよう踵を床に軽く打ち付ける。麻布に紐を通しただけの質素なバッグを肩に下げ、ドアノブに手をかけた。

「待てよ」

 思いの外近くで聴こえて振り返る。
 足音を立てずに近づいて、目元を険しくさせた。今発された声は薄闇に響いて空気を震わせた。
 まだ夜も明けきらない白む空に、鳥のさえずりが聴こえ始める。

「…今度は、いつ帰ってくるんだ」

 呆れとも怒りともつかない声音を孕んで、目線を逸らし溜め息を吐く。どうせ『行くな』と云ったとしても引き留められるとは到底思えなかった。それに、それを云える質でもないと自覚もある。
 そんな様子を余所に男は笑う。

「そッうだな…。
 一ヵ月後になるか、半年後になるか…もしかッすると、一年後かもな」

 オッレ様にも分かんねェよ、と陽気な物言いにまた深く息を吐いた。

「なんッだよ、一志。 寂しいのかァ?」
「なっ、誰が…っ!!」

 思わず声を張り上げそうになって、目の前で自分の口許に人差し指を当てる男の仕草に言葉を飲み込んでしまった。
 改めて口を開くが、それは声にならなかった。
 唇を塞がれる。きつく体を抱き締められる。体温が上がる。鼓動が大きい。
 引き離せず、そっと目を閉じた自分を嫌悪した。
 噛みつくような翻弄から解放される。開いた視界はぼやけていた。ふっと吐息が洩れる。

「顔、真ッ赤だぜ?」

 口吻けの熱が冷めやらぬ体が更に熱くなった。

「う、うるさいっ! さっさと行けよっ」

 控えめに声を上げ、力いっぱい押して追い出す。おッ前はホントに照れ屋だなァ、などとほざいているこの男が忌まわしい。
 扉が開く。陽は大分上がってきていた。きっと今日一日は快晴だろう。

「じゃ、行ッてくるぜェ!」

 朝焼けを背に男は笑う。眩しくて、直視できない程に。
 その声に応えることなく扉を閉めた。板一枚隔てた向こう側に、人の気配がなくなる。
 速く脈打つ心臓の音がやけに耳につく。火照ったままの肌が酷く不快に感じる。あの男の為に、何故自分がここまで振り回されなければならないんだ。
 静かな細い声で呟いた。

「………文のバカ」

 手紙なんか、期待してないからな。






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