『ファースト・キス』



「…ね、いいでしょ?」
「イヤだね」

 友達と呼ぶには少々味気なく、恋人と呼ぶにはあまりにも濃すぎる。そんな微妙な関係を維持していた最近。

「軽くだけでいいから。ね?」
「ヤだって」

 崩れかけているのは今鳥の一言。


『キスしたい』


 つき合っていない訳ではない。しかしつき合っていると云える訳でもない。
 “好きだ”と云い合った事もなければ、身体を重ねた事もない。きっとこれからもないだろう。
 それ故に困る。ので、ひたすら拒否。

「ねー、麻生〜」
「イヤなもんはイヤ」

 それにしてもしつこい。朝から云い始めて、授業の合間の休み時間も弁当の時間も、放課後までずっとこれだ。
 いい加減、聞き飽きた。

「…諦めろよ、今鳥」
「絶対ヤだ」

 なに意地張ってんだろよ、こいつは。もう溜め息しか出てこない。
 …意地張ってんのは俺もか。
 今鳥と俺の考えは未だ平行線。だがいつまでもこの状態が続くとは思っていない。
 帰ろうとして教室を出た。…つもりだったのだが。

「…っ!」
「逃がさないよ?」

 いつもみたいに気の抜けた笑みで俺を引き止める。完全に油断していた。いつの間にか壁に追いやられている。
 こいつ、普段貧弱なクセにこういう時ばっか素早いんだよな。

「退けよ」
「イ・ヤ」

 さっきと打って変わった立場の逆転。今度は今鳥が拒否し始めた。
 平行線が少し、歪む。

「させてくれたら退いてあげる」

 ぐっと顔を近づけてきてぬけぬけとそう云いやがった。その間抜け面で。
 頭の両側に手をつかれて行く手を阻まれた。全身に圧迫感を感じる。
 本気を出せば、ホントはこんなの振り切れる。なのにそれをしないのは、きっと――。

「…ホントだな?」
「ホントホント。俺嘘吐かないもん」

 それはどうだか判らないが。こいつならその先もやりかねない。

「わ、判ったよ…」

 見つめてくる今鳥の目を見る事が出来なくて、目を逸らした。顔が熱い。
 なに赤くなってんだろ、俺。

「んじゃお言葉に甘えて♪」

 たかがキス。されどキス。
 今鳥の表情が変わった。さっきまでと違う、真剣な顔つき。
 唇に吐息を感じた。今鳥が薄く目を閉じた時、ぎゅっと目を瞑った。今頃になって胸が高鳴り出す。  瞬間、音も立てず触れた。
 微かな温もりが離れると同時に、ずるずると床に立膝で座り込んだ。

「麻生!?」

 動悸を抑えようと必死に息をする。今鳥がしゃがみ込んできたのが判った。

「………だった、」
「え?」
「…初めてだったんだ、」

 だからこそ、今鳥にして貰いたかったのかもしれない。拒否している傍らで、振り切らなかったのは、きっとそんな理由。
 怖かったのかもしれない。ただ単に。“恋人”に近づく事が。
 平行線が交わりをつくった。

「…麻生、」

 伏せた顔を上げた。
 目の前にあるのは今鳥のいつものそれで。

「続きもしちゃおっか?」

 そう、いつものへら顔で、云いやがった。

「アホか!」

 ゴンッ、と鈍い音を立てて、俺は今鳥の脳天に拳を振り下ろした。
 そりゃもう思いっきり。

「〜〜〜〜ッッッ!!!!!!」

 今鳥は声にならない声を上げて蹲った。これで懲りてくれればいいのだが。
 その隙にバッグを持ち直して立ち上がり、埃を払う。
 今鳥を無視してそのまま帰ろうとすると、自分のものではない溜め息が聞こえた。

「あーあ、今の麻生すっげー可愛かったのにー」
「残念だったな、バカ」

 今鳥は打たれ弱いが立ち直りは早い。さすが誑しだ。この位じゃへこたれない。
 思わず振り向き、頭をさすりながらもう立ち上がっている今鳥に目をやる。

「でも麻生はいつも可愛いから関係ないね」

 ああもう、こいつは。

「って事でイタダキマー…」

 抱きついてくる勢いの今鳥に蹴りを一発。
 油断も隙もあったもんじゃない。周防の気持ちがよく判るよ。
 ピシャリ、とドアを閉めた。勿論今鳥は教室に置き去りだ。
 今日はなんだか疲れた。廊下を歩きながら思う。

 近づく事は、やっぱり怖いけど。
 近づく事も、悪くはない気がした。
 だけど、これ以上は――『危険』だと何かが云うんだ。

 まだこの中途半端な関係が続きそうだ。
 追いかけてくるだろう今鳥を待ちながら、階段を下りる。








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