こんな腐った娯楽。 こんな理不尽な死に方。 在っていい筈がない。此処で死ぬ訳にはいかない。 生きて、みせる。 【the pupil of pass each other】
埃っぽい空気。カーテンのない窓から入り込んでくる乾いた風に乗って漂う、鉄の匂いが更に息苦しくさせる。音もなくまた近くで人が死んだ。そう感じた。 閉じていた目を開ける。誰が居なくなったのだろう。そんな事を考えながら、太陽が西に傾きかけた快晴の空を見上げた。アイツじゃなかったらいいな。淡い希望を抱いて思う。 どうして此処に居るんだろう、俺。少年の脳裏に渦巻くまるで昔の事のような日常。 現在が夢なのか、記憶する想い出が幻なのか。片手に携える銃の重さは教えてくれない。 ぐったりと教室の隅で少年は、決して戻れぬ昨日に想いを馳せた。そして一目会いたいと、ふと浮かぶ。 ――会える訳ないか。もし会えても、殺るしかない。或いは生きているとは限らない。 空気の流れが変わった。閉め切った教室の扉が開かれたからだ。少年は虚ろげな瞳でその方向に目線を送った。そこに立っていたのは日本刀を持った少年。紛れもなく扉を開けた人物。少年は眉を顰めつつ、不快そうに呟いた。 「酷ぇ臭い」 そう云って教室に踏み入れる。足取りは真っ直ぐ、此処にずっと居たであろう少年を目指して。視線は異臭のもとを見つけた。 刀を片手に、少年はクッと笑った。 「へー、結構ガンバッテるじゃん。 ――麻生」 その言葉を示すモノ。机の上に無理な体勢で仰向けに倒れている。床に転げているのは頭部から何か出ている2つの人間と思わしき遺体。腐敗の進みかけたソレから放たれる芳しくない臭いが充満していた。 少年は立ち止まる。刀から紅い液体が滴っていた。先程誰かを手にかけたと云うように。 壁に身を預けていた少年は目の前に立つ金髪を紅に濡らした少年に銃口を向けた。銀の刃から零れる滴が視界の端で妙に鮮やかだ。 「撃てるの?」 余裕すら窺える笑みで少年は応えた。 忘れかけていた恐怖と懐古。そこから見出すあの日の愛しさ、恋しさ、もどかしさ。思いがけず銃口が震える。 そして火を噴いた。 それは扉に小さな破壊の跡を残した。それは金髪の少年に小さな傷を残した。痛みを感じていないかのような微笑。 気が抜けたのか、少年は銃を下ろし大きく肩で呼吸をする。澱んだ空気が肺を占め、噎せて咳を繰り返す。汗で黒髪が肌に張りついた。 撃たれた少年は、包み込むように弾を掠めた肩口を手で押さえた。開くと鮮血が掌を染めた。白のカッターシャツに新しい紅が滲む。返り血を浴びすぎた少年達のカッターシャツは、所々変色を起こして黒ずみ始めていた。 「いま、どり…は、」 呼吸を整え切れていない声で、少年は投げかけた。 カッターシャツで掌についた自らの血を拭く少年からは、目の前の疲労している様子を見せる少年の表情を読み取る事が出来なかった。 「今鳥は、これで良いと、思ってるのか?」 疑問として口にしたのは少年の葛藤。 命は尊い。だから気安く奪ってはいけないと誰もが口を揃えて云う。『自分がやられて嫌な事は他人にしてはいけないから』『誰かが悲しむから』様々な理由を並べ立てて。 だが今、俺達が置かれている状況は、何だ? 殺したくもないのに殺して。殺されたくもないのに殺されて。見たくもない人間の汚い部分を見せられて。 命の尊さなんて関係ない。ただ次の瞬間を生きる事に貪欲で、その為には立ち塞がる全てのモノを薙ぎ払わなければ未来はない。 例えそれが、掛け替えのない大切な人であろうとも。 判っていたつもりだった。次逢う時は撃つ。嘗て親友と呼んでいた存在を消した時、見知ったクラスメイトを消した時、徐々に罪悪感で狂いそうになる精神と引き換えに増減する自信と不安。人間を人間として見ていない自分。それを持ってすれば躊躇いなく彼を撃てる。 だが何故だろう。彼に対するこの感情。まだ自分の中に生きている恋情。欠落し切れていなかった、彼を人間として見ている自分。 撃てない。 ――そう悟った。 そして問う。彼が如何にしてこの理不尽に納得したのか。 「…そんなの、」 トーンダウンした声に少年は俯いていた顔を上げた。目に映ったのは向けられた刃先。 カチャリ、と握る刀の柄が鳴る。 「そんなの、今更だろ?」 それはとても優しい微笑みだった。手にする刃物と紅い染みがなければ、安らぎさえ与えただろう。だが今の少年にはおぞましく思えてならなかった。 「俺達が此処に連れて来られた時点で、そんな事考えるのは無駄だろーよ。 ――それよりも、どこを切ったら確実に人間は死ぬのか、そっちを考えた方が良くね?」 成る程、と目を閉じる。そうか、と目を開く。一瞬の動作にいくつかを思い描いた。 止める事など出来ないのだと知った。 「俺は生きるぜ、麻生」 刀を握る手に力が入る。真剣な顔つきで少年は見つめた。 なんて正直なのだろう。黒髪の少年は思った。そしてなんて強いのだろうと。こんなに自分は苦悩しているというのに。こんなに自分は押し潰されそうになっているというのに。 いっその事、押し潰されてしまおうか。 少年は切っ先から目を伏せる。微か笑みを湛えた。 「…俺は」 少年の手が動いた。 光に反射して輝く黒の銃身。 「オマエみたいに生きれない」 ひとつの弾ける音が教室に響いた。 金髪の少年は腕を下ろした。刀の先が床に向く。 そよぐ乾いた風。今までこの風に護られていたのか、君は。その答えを知る術はもう、無い。金髪の少年を見据えた瞳は光を失くしていた。 君が最期に見せたあの微笑は。自分を。俺を。現在を。世界を。呪っているように思えた。 これでいい。生きる為には君を殺してまでと、そう考えなければ殺られる。覚悟は出来ているつもりだった。 でも、何だろう。この喪失感は。 力無い指から零れ落ちる美しく紅い銀の刄。カシャン、と音を反響させて床に静まる。 武器を捨て去ったかのように、息絶えた少年に近づく。しゃがみ込んで蒼白した頬に触れる。手の甲をサラサラと黒髪が擽り、髪先から紅い雫が一つ二つと垂れた。 嗚呼、まだ、こんな気持ちになれるなんて。 薄れていく淡い温もり。指先を濡らすのは少年の頭から流れ出た冷たい血液。死後硬直が始まる前にと、汚れていない方の手で何も視てはいないその瞳を、そっと閉ざしてやる。 綺麗な寝顔が、そこにはあった。だが寝ているのではないのは一目瞭然だった。 そういえば、寝顔を見た事なかったな。 ふと、少年は思う。 そういえば、『好き』って云われた事も、なかったな。 急激に襲う寂しさ。俺は今、何に絶望しているんだ? 頬を撫でていく空気が冷たく感じた。 誰が俺を守ってくれた? 俺を産んだ親は金に目が眩んで俺を売った。それなりに好きだった担任は自分の身の可愛さに俺たち生徒を売った。信頼できた筈のクラスメイト達は殺すべき敵となった。 ――そう、誰も俺を守ってはくれない。『誰かが守ってくれる』なんて、そんな考え方は甘っちょろすぎる。 だけど。何処かで、心の支えになっていた。 君が。 でも。居ない。今は。この地上の何処にも。居なくて。 だから。嗚呼、だからか。この喪失感の意味。寂しさの理由。絶望のどん底とは正にこの事なのだろう。 誰も守ってはくれないから、君を守りたかったんだ。 思い出した。ずっと君を捜していた。守る為に。この腕に抱く為に。 ――否。守られる為に。その腕に抱かれる為に。 拠り所を捜していた。 いつから。自分を見失い始めていたのは。 いつから。このゲームに呑まれていたのは。 いつから。君を認識できなくなっていたのは。 なんて俺は弱いんだ。君が居なくなるまで気がつかなかった。もしこの手で君を殺していたら、一生気づく事はなかった。 死をもって君は、俺を取り戻してくれた。 やはり俺は君に守られていた。 「…ぁそう」 小さく掠れた声は思いの外情けなく震え、込み上げる何かを抑えきれずにいた。 「麻生、好きって、云ってよ」 止まらない水の流れ。最早止めたりはしない。 「俺ばっか、狡いじゃんか」 こんなに想っている。 こんなに好きでいる。 こんなに、 「愛してるんだよ、麻生」 硬くなり始めた冷たい唇に口吻けを。 それは偶然だった。 「猫が1匹、鳴いてる」 クスリ、と微笑。翻る赤の襞。伸ばした手には銃身。狙うは、“金色の猫”。 気配もなく。ただ静けさの中に ――弾けた。 『開始から54時間が経過しました。 この6時間で死亡が確認されたのは、 麻生広義くん、今鳥恭介くん。 以上の2名です』 何が間違いで、何が正しいのか。 ――答えなど無い。 タイムリミットまで、あと18時間。 |
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