ぼんやりとした不安
最近、フッと目を覚ます。 別に誰かが起こしに来た訳でもなく、自分の頭が勝手に覚醒を促してくれているのだ。 まだ眠っていたい。 だけど寝かせてくれない。 欠伸を1つ洩らして、身体を起こした。 氷帝学園の空は今日も快晴。芥川慈郎にとって絶好の昼寝日和な筈だ。日陰の下の慈郎に木々のざわめきとボールの打つ音が聴こえた。柔らかな風が慈郎の頬を撫でていった。その風と共に運ばれてきた笑い声。 ああ、まただ。 皆の声を聴いていると、妙に寂しくなる。 まるで、その皆に置いていかれているような気がする。 だけど皆の声を聴いていたい自分が居た。 ワザとなのか違うのか、いつの間にかテニスコートの近くの茂みで寝ることが多くなっていたのに、慈郎は気づかないフリをしている。 『侑ちゃんと岳人、また喧嘩してる…』 『鳳がコートに入ってるみたい…。宍戸も居るのかな…?』 『滝が日吉からかってる…。後が怖いから止めた方が良いよー…』 『でけぇスマッシュの音…。樺地…?』 『………跡部はなにしてんのかな…』 まぁ、跡部のことだから、高見の見物してるか他の部員を負かしているくらいだろう。 そう思って、また寝転がろうとした時、聞き慣れた声が上から降ってきた。 「こんなトコに居やがったのか?ジロー…」 半ば夢現だった慈郎の眠気が一気に吹き飛んだ。ぱっちり開けた眼が声の主に向けられる。 「あ…、跡部…??」 「あん?なに変な顔してんだよ」 まさか跡部直々に自分のもとへ来るとは思ってもいなくて、慈郎は呆気に取られていた。いつもなら鳳や日吉あたりが跡部の言いつけで迎えに来るが、跡部が来ることは今まで無かったのだ。 自分の隣りに座ってきた跡部の横顔を見た。 「珍しいね、跡部が来るなんて。なんか用なの?」 「別にそんなんじゃねぇよ。用がなきゃ駄目なのかよ?」 「違うけどさ〜」 「ならいいだろ」 この男は相変わらずだ。気ままでプライドが高くて、それでいて強い。 「でも、いいの?部長がサボって」 「いんじゃねぇ?たまには」 慈郎には跡部の言動が判らない。判らないから、跡部から目線を外して空を見上げる。両手を後ろについて身体を支えた。雲は1つも見当たらない。陽が木洩れ日として木々の間から白い光が差す。 「…それに、珍しいのはお前の方だ」 「ん〜?」 そんなになにか変な事をしただろうか? 目線は空に向けたまま、慈郎は考えた。が、なにも思い当たらない。 「起こしに行く前にもう起きてるなんてな」 ああ、その事か。と、慈郎は笑った。しかし、すぐに溜め息を吐いて消してしまった。 いつもと違う様子の慈郎に、跡部の顔が険しくなった。 「なにか、遭ったんだろ…?」 困ったような微笑みを跡部に向ける慈郎。 「…敵わないね、跡部には……」 “インサイト”と呼ばれる跡部の能力。どんなに隠しても、“それ”が慈郎を見抜いてしまう。 見たくないモノを見てしまうのは辛いな。と、跡部自身も思っていた。 風が、擦り抜けてゆく。藤の花が散りながら、流れて。薫る、甘い紫。一瞬の煌めき、一瞬のひととき。甘い薫りが、去ってゆく。残されたのは、テニスコートの笑い声、重い沈黙。ざわめく木々さえも、嘲笑っているよう。言葉が失くなってしまった世界で、声が紡がれた。 「…俺、ね…。不安なんだ……」 何処も見ていない慈郎の眼。なのに、瞳に映らせる空色は、悲しく寂しい。震える声で必死に喋る。 「みんなと一緒に居て、すごく楽しくて…。でも、それはいつまでも続くモノじゃないじゃない?だから、今が“倖せなんだ”って思うんだけど、…そう思ったら、寂しくて…不安になっちゃったんだ…」 ぼんやりとした未来への、ぼんやりとした、不安。幸福な生活に見えない恐怖を感じ始めた慈郎にとって、“眠る”ことは最大の現実逃避になっていた。次第に“眠る”時間は長くなり、自分で起きることが少なくなっていったのも、また事実。 『現実を見たくなかったから…』 だから、現実から眼を背けた。 『寂しい思いをしたくない…』 だから、離れようとした。倖せの後の寂しさや空しさなんて、要らない。 『なのに…っ』 一緒に居ないと、もっと寂しいなんて…。 弱い自分。 「……大丈夫だ」 不意に跡部が口を開いた。慈郎の瞳に映るのは、空の蒼ではなく、隣りで自分を慰めようとする、滲んだ青年。微笑みは優しく、怖がらせないように。 「だから、泣くなよ?ずっと側に居てやるから…」 ああ、暖かい。 どうしてこんなにも、胸が熱い? ああ、そうなんだ…。 安心して、感動して…不安が薄れてゆく。 たったそれだけの言葉さえ、信じていられそうで。 「アイツらだってそう思ってるぜ?…俺も、お前と離れるのは寂しいからな……」 皆が大好きだった、今でも。 これからも、皆を大好きでいたい。 「うん…。跡部…、ぁりがと…」 ジャージの袖で眼を擦りながらそう云うと、慈郎は跡部に微笑みかけた。 「…元気になったか?」 「ぅん」 跡部も微笑み返す。まるで子供をあやすように、愛しい者を見るように…。 「だったら、さっさとコートに来いよ」 立ち上がると、慈郎を見下ろしながら、跡部は云った。遠ざかる背中を見つめ、そしてさも今気づいたかのように、柔らかで青い芝生へ寝転んだ。 「跡部には悪いけど…、」 空が、蒼々としている。風に靡いた木々が現してくれた。直射してくる太陽に顔を顰め、また葉が影をつくる。 「まだ、もうちょっとだけ…」 慈郎は眼を瞑る。泥のような睡魔が襲ってきた。今まで聴こえていた声や事が、すべて、遠のく。そして、やがて無音の中に吸い込まれた。 葉の擦れる音。促す暖かな風。カシャン、という柵に当たる音。次いでボールの落ちる音。その中に、静かな寝息が聴こえてくる。耳を澄まさないと聴こえないくらい、細い息の移動。きちんと、生きている証拠。眠る、褐色の橙の髪。寝顔は、とても倖せそうだった。まるで、世界で1番幸福だと云いた気に。 |
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